その日も、特別なことは起きなかった。
何も変えていない一日。
新しい決断も、勇気ある選択もしていない。
いつも通り仕事をして、いつも通り役割を果たしただけ。
それでも、その日が終わる頃、
少しだけ救われている自分に気づくことがあります。
あなたにも、そんな感覚はありませんか。
変わらない一日が、支えてくれる日もある
自分の前提や感情などに気づいたからといって、
毎日が揺れるわけではありません。
洗濯物を干しながら、何も考えずに体が動いた。
いつも通りの仕事の手順に、今日は助けられた。
「回った」
「終わった」
「今日を越えた」
そんな感覚に、ふっと安堵する瞬間があります。
日常は、思考を休ませてくれる
いつもの習慣や段取り。
家事や仕事、慣れた役割。
それらが、考えすぎてしまう心をそっと休ませてくれることがあります。
この「自動運転」の時間は、今の自分を守るために、ちゃんと必要なものです。
忘れないでいてほしいのは、変わらないこと=停滞、ではないということ。
「変わらないこと」に、助けられている時期
気づいたあと、すぐに変わらなくていい。
変われないのではなく、
今は支えが必要なだけなのかもしれません。
私自身の小さな体験から
何かを決めたわけでも、
気持ちを整理できたわけでもないのに、
いつも通りの一日を終えたことで
「今日はこれでよかった」と思えた日がありました。
仕事を終えて食事の準備をしているとき。
新しい味に挑戦したい気持ちもあったけれど、
「まぁ、いいか。これも美味しいし」
そう思って、
いつものように淡々と料理をした夜。
悩まずに動けた自分に、
もし今日が、
「何も変えていないのに、助けられた一日」だったとしたら
あなたは何に支えられていたのでしょうか。
変わらない日常に、救われている自分に気づいたとき、
何かを変えなくても大丈夫。
ただ、変わらない日常に、助けられた自分がいたことを、
なかったことにしないであげてください。

次にやってくるのは、
その安心と一緒に現れる、もうひとつの感情かもしれません。
変わらない選択をした日に生まれる「安心」と「罪悪感」。
明日はその両方について、少し言葉にしてみます。