問いと共にいる私
すぐに答えを出さなくても、
すぐにわかり合えなくても。
それでも、
迷いを抱えたまま今日を生きている私がいます。
書きかけのノートを閉じたまま迎えた朝も、
伝わらなかった会話のあとの沈黙も、
すぐに決めなかった夜もありました。
何かを解決したわけではありません。
それでも、
整っていないまま今日を生きている私がいます。
問いを抱えたままでも、わかり合えなくても。
私は、ここに立っています。
それが、いまの私の姿です。

きっと、こうした時間をくぐるのは、私だけではないのだと思います。
音楽に携わってきた私には、
ときどき、この時間がジャズの即興演奏のように感じられます。
楽譜どおりに進まない瞬間。
予定していなかった「ずれ」。
あえて弾かない音がつくる余白。
けれど、そのずれや余白があるからこそ、
音楽は生きはじめる。
人生も、少し似ているのかもしれません。
すべてを整えなくても、完成させなくても、
言葉にならないままの時間や、
未完成のまま立っている瞬間に、
楽譜には書かれていない響きが宿ることがあります。
だから私は、問いと共にいるこの時間を、
急いで閉じなくてもいいと思えるのです。
何かが大きく変わったわけではありません。
でも、前よりも自分を急がせなくなっていることに気づきます。
問いがあるままでも、私は今日を生きている。
それでいいのだと、少しだけ思えるようになりました。

2026年2月7日〜2月14日
「言葉にならないものと、共にいる」
整わないまま、問いとともに立っていた、第3章の記録です。