「理由がない疲れ」を、ちゃんと疲れとして扱う
何か大きな出来事があったわけじゃない。
それなのに、朝から体も心も重たい日があります。
この疲れを説明できなくなって、
つい自分にこう言ってしまうかもしれません。
「気のせいかな。」
「私が弱いだけかな。」
でも、理由が言葉にできない疲れほど、
この疲れに、名前がつきにくい理由
- 空気を読む
- 相手に合わせる
- 波風を立てない言い方を選ぶ
- 正解を外さないように気を配る
- 予定はこなしているのに、回復しない感覚
それら一つひとつは小さくても、
積み重なると、確実に心のエネルギーを使います。
けれど、この疲れは
「忙しさ」や「成果」のように数値化できないため、
自分でも気づかないまま、後回しにされがちです。
仕事も家事も最低限はできている。
人にも普通に接している。
それでも一人になると、
何もしたくなくなったり、理由もなくため息が出たりする。
それは怠けではありません。
甘えでもありません。
感情や判断を使い続けてきた人に起こる、
とても自然な疲労反応です。疲れは「証明」しなくていい
疲れを認めることは、甘えではありません。
「理由が説明できない疲れ」は、
証明しなくていい疲れです。
誰かに分かってもらえなくても、
自分の中で
「今日は疲れている日なんだ」と認めてあげるだけで、
心は少し緩みます。
回復は、元気になることから始まるのではありません。
疲れていると、ちゃんと認めること
そこから始まることもあると私は思います。「今日は疲れている」と言っていい一日がある
今日は、何かを改善しなくていい。
前向きな答えを出さなくていい。
ただ、
「理由はないけれど、私は少し疲れている」
そう自分自身を扱ってあげる一日で、十分です。
それは後退ではなく、
これ以上すり減らさないための、静かな前進です。

今日のあなたは、どうでしょう。
・理由は説明できないけれど、疲れている
・心が少し後ろにいる
・何も考えたくない
どれか一つでも当てはまったら、
それだけで、今日は十分です。
この続きでは、
そんな心の状態とのつきあい方について、
もう少しだけ言葉にしていきます。
次は
「心がついてこない日は、置いていかれたままでいい」